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【目がテン】最強の砦 真田丸の謎




最強の砦「真田丸」の真実に迫る

 2016年4月10日日本テレビ系で放送の所ジョージさん司会の番組「所さんの目がテン!」で紹介された「真田丸の謎」に関する情報です。

 「400年以上、どこにあるかわからなかった真田丸の跡地が、今年判明した」んだそうで、なんともタイムリーというか、400年何してたんだよ歴史学者・・・て軽く突っ込んでも怒られませんよね(笑)。


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そもそも「真田丸」とは?


 2016年度の大河ドラマは、真田幸村の生涯を描く「真田丸(さなだまる)」です。
 歴女というほどではないものの、歴史好きな私としては「新選組」以来の三谷幸喜さんの脚本であり、主演の堺雅人さんも好きなので見逃せないと思っていたはずなのに・・・忙しすぎていまだに2話までしか見ておらず、録画したままどんどんたまっている状態です(汗)。

 そんな「真田丸」、歴史好きといいつつも、メジャーな信長や秀吉の知識はあるものの、真田幸村に関しては最後の様子くらいしか(ネタバレなのであえて書きませんが)知らず、「真田丸」とはてっきり源義経の幼名「牛若丸」とか、伊達政宗の幼名「梵天丸」みたいなもので、真田幸村の幼名かと思っていました。

 「真田丸」とは幼名ではなく、1614年(慶長19年)の大坂冬の陣で、徳川家康に敵対する豊臣方の真田幸村が築いた「砦(とりで)」(曲輪(くるわ)・郭(くるわ)と言われることもある)のことです。

 さらに「砦(曲輪・郭)」とは何かというと、お城を守るために、本丸の周りや城の外側に配置された土塁、石垣、堀などで囲った防衛線のことです。

 「真田丸」はおよそ4万人の徳川軍が攻撃しても、全く歯が立たなかったという伝説の砦だそうです。

真田丸のあった場所とは?


真田丸の謎 戦国時代を「城」で読み解く (NHK出版新書)

 奈良大学の学長で、城郭考古学(じょうかくこうこがく)の第一人者でもある千田嘉博(センダヨシヒロ)博士が現地で実際に真田丸があったという場所を紹介されました。

 今年、400年ぶりに判明したという真田丸の跡地は、大阪城天守閣から南へ約2kmの地点。現在「大阪明星学園」という学校になっているあたりだそうです。



 この場所に「真田丸」があったことを裏付ける貴重資料として「広島市立中央図書館」所蔵の「諸国古城之図」より「摂津 真田丸」という古地図(絵図)が紹介されました。

 驚いたことに絵図の中の真田丸の東側に描かれているお寺は、平成の今もお寺として残っています。

 一か所だけでなく、古地図にあるようにお寺が連なっています。
 googlemapで確認すると、確かに「大阪明星学園」の東側に、北から心眼寺・興徳寺・大慶寺と並んでお寺が存在します。
 これだけはっきり痕跡が残っていれば、「Why japanese people?なんで400年もわからなかったの?」と言いたくもなりますが・・・徳川にとっては「真田丸」だけに焦点を当てれば負け戦なので(最終的には勝つのですが)、封印したかった過去なのかなと思ったりしました。

真田幸村の見た目


 創作ではイケメンに描かれる真田幸村ですが、信頼できる資料等によると、
 ・髪は白髪
 ・歯が抜けている
 ・頬には傷があった

 ということで、所さんも驚きでした。
 これって・・・義経も現代劇ではイケメンが演じるけど、実はものすごく醜男だったという説と同じですね。

 そして「幸村」という名前も江戸時代につくられた創作上(軍記や戦記)の名前であり、本当の名前は「真田信繁(のぶしげ)」でした。


真田信繁 幸村と呼ばれた男の真実 (角川選書)

お城へ行こう


NHK 趣味どきっ!(火曜) お城へ行こう! 名将の素顔をお城が“語る” 2016年 2月~3月 [雑誌] NHKテキスト

 先月までNHKのEテレで放送していた「趣味どきっ お城へ行こう」の解説をされていた先生も同じく奈良大学学長の千田嘉博先生でした。見てたのに気づかなかった!!

 「お城へ行こう」でもやけに「空堀(からぼり)」の話が繰り返し出てくるなと思いましたが、今回も「お城へ行こう」でも登場した小田原城の空堀が紹介され、半端ない斜度(50.4度!=スキーのアルペン競技より急な斜面だそう)や、上からの攻撃性などが解説されました。
 ちなみに空堀とは、水のない「お堀」のことです。

 「真田丸」にも配置されていたという空堀を説明するのに登場したのは、小田原城にある「小峯御鐘ノ台大堀切東堀(こみねおかねのだいおおほりきりひがしぼり)」でした。真田丸の空堀とほぼ同じ大きさだそうです。

 詳細→【国指定史跡】小峯御鐘ノ台大堀切

注意の焦点化 巧みな心理戦術

 真田丸の驚くべき心理戦術とは何かと思っていたら「目立つ場所にあったのでついつい徳川軍も攻めてしまった」という単純なことでした。

 なにかもっと、サブリミナル的なこととか、秀吉の一夜城のような仕掛けがあるのかと思いましたが、意外に簡単で、しかし普通は思いつかないような奇策だとも感じました。

 つまり、「惣構(そうがまえ)」と言われる城下町の外側に作った防御壁の、外側に飛び出すように作られた要塞が「真田丸」だったそうで、これを目立つのでついつい徳川軍は攻撃してしまったものの、本来なら無視してもっと別の「大阪城の弱点」を攻撃することも可能だったということでした。

 私は以前流通系の会社にいたことがあるのですが、小売店などでも「レジ横陳列」とか「レジ陳」とか言って、「売りたい商品をあえてレジのすぐ横に置く」という戦術があります。あれって、わかっていてもついつい手にとって、買ってしまうんですよね。
 真田丸はそんな心理作戦を計算して、築かれた砦だったのです。


[図解]売れる陳列 売れない陳列 (PHPビジネス選書)

真田軍の武器

 真田軍が使っていた鉄砲を紹介したのは「堺鉄砲研究会」の澤田さんでした。

 堺と聞いて私も昔読んだ歴史小説を思い出しましたが「武器商人」の街ですよね。
 種子島に伝来した鉄砲にいち早く目をつけた堺の商人たちは、戦国時代にはすでに盛んに銃を生産し、莫大な利益を得る者がいたと言われます(参考サイト堺商人)。

 真田幸村が使ったと言われる銃は「士筒(さむらいつつ)」と言われる火縄銃で、威力が大きく、20m離れたところからでも鉄製の甲冑(かっちゅう)を射抜くことができたそうです。
 徳川軍は移動するため軽量な火縄銃を使っており、一方砦に籠っている真田軍は移動の必要がないので、重くて威力の大きい「士筒」が使えたということでした。

 また、さらに真田軍が使用していたもう一つの「スーパー兵器」として、三人がかりで撃つ「狭間筒(さまづつ)」が紹介されました。
 「狭間筒」は城を守るときに使う銃で、20発の弾を同時に撃てる散弾銃のようなもので、1度に5~6人の兵を倒すことが可能なバズーカーのような銃だそうです。


火縄銃・大筒・騎馬・鉄甲船の威力(新人物往来社2010年刊行)


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