6/14安住紳一郎の日曜天国のゲスト吉野ママこと吉野寿雄さん

安住紳一郎の日曜天国

 2015年6月14日放送のTBSラジオの番組「安住紳一郎の日曜天国」にゲスト出演される「伝説のオカマ」「オネエ界のレジェンド」と言われる吉野ママこと吉野寿雄(よしのとしお)さんの情報です。



スペシャルウィーク

 まず今週は「スペシャルウィーク」「聴取率週間」「レーティング」と言われる「どれだけの人がラジオを聴いているか?」を調べる週間です。
 テレビは「視聴率」という「どれだけの人が見ているか」を毎日調べていますが、関東のラジオ局に限って言えば、この「レーティング」の期間は「年6回(偶数月の中旬)、各1週間ずつ実施」となっています(詳細は「聴取率(ちょうしゅりつ」Wikipediaへ)。

 首都圏のラジオ番組では通常この「レーティング」の期間には、少しでも多くの人に番組を聴いてもらえるよう、スペシャル企画をぶつけてくることが多いものです。
 つまり「レーティング」の週である今回、「日曜天国」のゲストが「吉野のママ」ということは、これはもう「かなりの数字を持っているお方」とも言えるわけです!

 ちなみに現在のお顔はこんな感じ(2014年頃の画像)。

 若い頃はおきれいでした。
 さすが「レジェンド」。



 最新画像はこちら。2016年10月のInstagramです。




日本のおかま第一号



 吉野ママのことを「日本のおかま第一号」と思っている方がいらっしゃいますが、これは間違いです。
 私はこの「日本のおかま第一号―あなたは仕事に誇りをもっていますか? (ダ・ヴィンチブックス)」という本を昔読んだことがありますが、ここに書かれている「日本のおかま第一号」の方は島田正雄さん(通称お島さん・おしまさん)というすでに故人となっておられる方です。

 お島さんは戦後間もない昭和20年に、新橋の烏森(からすもり)神社境内付近に日本最初のゲイバー「やなぎ」を開店しました。「やなぎ」はたちまち繁盛して、従業員として雇ったのがのちの「青江のママ」こと青江忠一と、「吉野のママ」こと吉野寿雄でした。

 やがて吉野ママは「やなぎ」から独立して昭和38年に六本木にゲイバー「吉野」をオープン。「やなぎ」はゲイバーといっても「飲み屋」に近い雰囲気のお店だったようですが、「吉野」はおそらく現在の、新宿2丁目などにあるゲイバーの原点になったようなお店だったようです。
 美川憲一さんは修行時代、この「吉野」で働いていたといわれており、今でも吉野ママをたいへん慕っているそうです。

 吉野ママのブログはこちら→吉野ママの昔今物語♪

 ちなみに「日本のおかま第一号」という本はすでに絶版になっていますが「サービスの達人たち (新潮文庫)」と改題されて文庫化されています。


サービスの達人たち (新潮文庫)

 「サービスの達人たち」はお島さんだけでなく、ロールスロイスを売りさばく辣腕営業マンや、オードリー・ヘップバーンをも虜にした靴磨きなど、サービス業にたずさわる達人たちを紹介したノンフィクションです。

 今もう手元に本がないのでちょっと曖昧ですが、記憶に残っている内容としては「やなぎ」は特別なルートで進駐軍の物資(PX=進駐軍の売店のこと。転じて進駐軍からの横流し、闇ルートで流通していた物資)が手に入ったので、戦後間もない頃に他では飲めないウイスキーやビールなどの酒が飲めたとか、店の二階にお島さん、青江さん、吉野さんの3人が寝泊まりして、店が大繁盛した時は昼も夜も無く働いたとか・・・・そんなお話だったと思います。

 今回の吉野ママのお話では、
「一番最初「やなぎ」はご飯屋さんだった。私はカツ丼とかカレーライスを出前していた」
「それがたまたま、やなぎのママの彼氏が外国人の男性で、闇のお酒が手に入って、それでお酒を売るようになった」
「お島さんは着流し、青江のママは芸者姿、私(吉野ママ)はドレス姿だった」
「あの界隈は全部進駐軍の宿舎だったので・・・私なんかそれで口が開いた(ゲイとして開花した)んだもの」
「お島さんは兵隊で満州に行ってる。青江のママは習志野練兵場で兵隊の訓練を受けもう少しで戦地へ向かうところだった。私だけが兵隊に行ってないの」
 とのこと。

高倉健さん

 吉野ママと言ったら何と言っても「高倉健さん」との交流です。

 吉野ママは高倉健さんにすすめられて、健さんの映画「網走番外地」にまで出演されています。



 高倉健さん以外にも、昭和38年当時の日本にはまだゲイバーが少なかったことから、輝ら星の如きスターたちがこぞって「吉野」の常連客となりお店に通ったそうです。

 一方「やなぎ」で吉野ママと一緒に働き、時を同じくして「青江」をオープンして「青江のママ」として有名になったマダム青江さんは、晩年養護施設へ入所され、2011年に他界されたそうです。
 私の印象ではこの「青江のママ」の方が、以前はテレビなどによく出ておられた印象です。

 「日本のおかま第一号」のお島さん。その愛弟子と言っていい「青江のママ」と「吉野のママ」、このお三方を抜きにして戦後の日本のゲイ文化は語れない、と言えます。

 「日本のおかま第一号」と言っても、戦前にもいわゆる今のオネエの方々のような人々はいらっしゃったわけで、厳密には「日本のおかま第一号」がお島さんというわけではないのですが、いわゆる現代風な「オネエ」「女装家」の元祖がお島さんだったのだと思います。

 その伝説のオネエ三羽烏の生き残り・・・・それが吉野のママなのです。

「ゲイボーイの元祖」春駒さん

 さらに、いろいろと情報を収集しておりましたら「青江のママ」が育てたという「ゲイボーイの元祖」の方がおられました。

 春駒(はるこま)さんとおっしゃる方で、カルーセル麻紀さんと春駒さんが「青江のママ」を「育ての親」とおしゃっているようです。

 すでに他界された青江のママ、今はお店をたたんで悠々自適な老後をおくっておられる吉野のママ、芸能人としての活躍がメインでお店はやっていないカルーセル麻紀さん・・・・これらの「伝説のオネエ」の中で唯一、現役でまだお店を経営されているのが春駒さんだそうです。

 赤坂にある「ニュー春」というお店で、「櫻井有吉アブナイ夜会」で「オネェ界のドン」と紹介されたようです。気軽に入れるお店ではなさそう。もしかしたら「一見さんお断り」の会員制かもしれません。

 会員制のお店と言えば銀座の高級クラブ「BARラウンジ『サロン・ド 慎太郎』」という、やはりオネエの方がママをされているお店(高級サロン)があって、その慎太郎さんのブログに春駒さんとの対談が掲載されています。

 こちら→春駒お母さんとの対談【2015年9月】

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